イギリスでのジン誕生の歴史と黄金時代について
クラフトジンを銀座で飲むならBARWHITEOAK

バーテンダーおすすめのジンをお楽しみください

「ほかのバーにはない、個性的なジンが楽しめる」と銀座で好評です。日本全国から集めた選りすぐりのクラフトジンをお楽しみください。日本のジンはボタニカルの種類が豊富で、海外のジンにはない個性を持っています。「少しずつ飲み比べをしたい!」「ジントニックにして飲み比べたい!」「飲んだことのないジンが飲みたい!」「海外からのお客様に日本のジンを飲ませたい!」といったご要望にもお応え致します。

落ち着きのあるおしゃれな銀座のバーですので、お一人さまはもちろん、デート、接待、二次会など様々なシーンでご利用いただけます。

BAR WHITE OAK のこだわり

  • キラキラ 3

    シック

    重厚感のある内装

    銀座の隠れ家

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    ジン

    国産ジンが豊富

    マスターが解説

  • ハートのマーク3

    遊び心

    斬新なジンのカクテル

    飲み比べも

ジンとは?

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ジンは、蒸留されたニュートラルスピリッツに植物由来のボタニカルを加えて作られる蒸留酒です。そのボタニカルは、植物や果実、種子、根、樹皮、花、葉、草など多岐にわたり、その風味や香りがジンの特徴を決定します。ボタニカルを選ぶことやその品質、配合レシピ、アルコール濃度、抽出時間、蒸留時間、蒸留温度などの要素が、ジンのスタイルや性格を形作ります。

ジンの製法や特性には地域や国による違いがあり、EUではジンはジュニパーベリーの香りを主とし、アルコール度数が37.5%以上であることが求められます。また、ジンは樽熟成を行わないことが一般的ですが、最近では樽熟成を施した商品も見られます。

日本のジンでは、地域の特産品や伝統的な素材が多く使用され、近年では新しいボタニカルの組み合わせや製法の工夫が行われています。ジンの魅力はその多様性にあり、ボタニカルの選択や調和によって異なる風味や香りを楽しむことができます。


イギリスでのジンの流行 イギリスでのジン誕生の歴史と黄金時代について|クラフトジンを銀座で飲むならBARWHITEOAK

ウィリアム3世のオランダからの到来により、イギリスでジュニパー飲料が大流行しました。名誉革命以前、ジュニパー飲料はロンドンで人気がありましたが、オランダ出身のウィリアム3世がジンのブームを引き起こすことになりました。イギリスも蒸溜酒製造が盛んで、14世紀から修道院などで蒸溜酒が作られていました。ヘンリ8世が宗教改革を行い、修道院が解散されると、修道士たちの蒸溜酒製造技術が一般社会に広まりました。その結果、1634年頃にはロンドンに200を超える蒸溜所が立ち並ぶようになりました。


蒸溜酒製造が盛んなイギリスで、オランダのジュネヴァが注目を集めるきっかけは、八十年戦争にありました。1585年、イギリスはオランダを支援するために6000人の兵士を派遣しました。その際、オランダ兵たちは戦闘前にジュネヴァを飲んで勇気を養い、それに触発されたイギリス兵も同様に行動しました。これにより、ジュネヴァはイギリスで「オランダ人の勇気」として評判となりました。当然のことながら、他のヨーロッパ諸国と同様に、ジュニパー飲料は薬用酒としても広く利用されていました。1615年に発行された書籍『The English Housewife』には、ジュニパーを含む様々な材料から作られる薬のレシピが掲載されています。


ジンの原型は1602年に誕生 イギリスでのジン誕生の歴史と黄金時代について|クラフトジンを銀座で飲むならBARWHITEOAK

イギリスで初めて造られたと言われるジンの原型は、発明家ヒュー・プラットが1602年に公表したレシピに記載されています。その書籍は家庭での蒸溜に多くのページが割かれており、「スパイスの蒸溜酒」というレシピには、チョウジ、メース、ナツメグ、ジュニパー、ローズマリーが使用されていました(分量は明記されていませんが、ジュニパーの香りがどの程度出るかは不明です)。


ウィリアム3世による蒸留酒(ジン)製造奨励 イギリスでのジン誕生の歴史と黄金時代について|クラフトジンを銀座で飲むならBARWHITEOAK

ウィリアム3世の即位に伴い、カトリック系の旧国王ジェームズ2世はフランスへ亡命しました。ジェームズ2世の支持を失ったことで、フランスとの関係は冷え込み、フランス産のブランデーがイギリスで不評となりました。ウィリアム3世はフランスに宣戦布告し、ブランデーの輸入を禁止するなどの措置を取りました。さらに、彼は穀物税を引き下げ、蒸溜酒に関する法律を緩和し、穀物からの蒸溜酒製造を奨励しました。蒸溜酒のギルドを解散し、手数料を支払い10日間異議がなければ誰でも蒸溜酒の製造ライセンスを取得できるようにしました。

これにより、蒸溜酒の製造が盛んになり、後にジンブームが生まれる下地が整いました。しかしこの規制緩和は、過度な飲酒やアルコールの悪用などの社会問題を引き起こす一因となりました。しかし、ウィリアム3世はその前に世を去りました。


粗悪なジンが出回る…
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ウィリアム3世の規制緩和により、蒸溜酒の製造がイギリス国内で急速に普及しました。1692年には、オランダ人医師ウィリアム・Y・ワースが執筆した『The Whole Art of Distillation Practically Stated』という蒸溜酒の入門書が出版され、イギリスの主婦たちにも製造のノウハウが広まりました。また、1698年には『The distiller of London』という酒製造マニュアルが発行され、同業者組合である「蒸溜酒製造者名誉組合」の間で手引きとして利用されました。ジュニパーを主要な材料とするレシピも掲載されており、当時ジュニバー飲料が広く普及していたことがうかがえます。

『The distiller of London』に掲載されたジュニバー飲料は、高価な輸入香辛料や乾燥させた柑橘果皮、新鮮なベリー類が用いられ、手間をかけて製造されていました。そのため、当時としてはかなり高品質なものでした。しかし、1714年にオックスフォード英語辞典に初めて登場した際に、「ジン」という単語は「ひどく評判の悪い蒸溜酒」として定義されました。なぜなら、規制緩和によって生まれた粗悪なジンが市場に出回っていたからです。この粗悪なジンは、蒸溜の基礎知識も持たない業者によって、オランダ式のジュネヴァの製造方法を無視して作られていました。簡単に手に入る安価なアルコールにボタニカルを加えただけのものであり、ボタニカルは主に不味いアルコールの後味を隠すために使われていました。


ウィリアム3世の統治下で、ジンの製造がイギリスで普及し、ジンブームが到来しました。彼の政策により、蒸溜酒の製造が奨励され、蒸溜酒に関する規制が緩和されました。


これにより、ジュニパー飲料が広く普及し、ジンの生産が増加しました。しかし、規制緩和は粗悪なジンの流通も招き、品質の低い製品が市場に出回りました。粗悪なジンは、製造プロセスの知識が不足している業者によって作られ、アルコールの後味を隠すためにボタニカルが使用されました。


これらの出来事は、ジンの歴史において重要な節目となり、その後のジン文化の発展に影響を与えました。


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日曜日も営業している銀座のバー BARWHITEOAK。ホワイトオークとは「ナラの木」のことを指し、ウイスキーやワインの熟成に欠かせない木材として知られています。このナラの木のようにお客様にとって、心癒される場所でありたいという気持ちを店名に込めています。

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